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KINDAI UNIVERSITY

貴重書・コレクション

常設展示

~2003年

『東方見聞録』(仏訳初版)

Polo,Marco「La description geographiqve des provinces & villes plus fameuses de l'Inde Orientale,meurs,loix,& coustumes des habitans d'icelles,mesmement de ce qui est foubz la domination du grand Cham Empereur des Tartares」 Paris:Estienne Groulleau,1556

著者 マルコポーロ
出版地 パリ
出版年 1556年

「ジパング」と呼んで日本を西洋に紹介したのは、マルコポーロ(1254-1324)である。ジェノバで捕虜として獄中にいた時、ピサの作者ルスティケロの助力を得て本書を編纂した。1271年、ヴェニスを出航し、各地を巡った旅行記だが、地理書的要素も多い。最初作り話として重要視されなかったが、フビライ治下の元朝の内情、各地の産物・風俗・動植物の記述は客観性に富み、後に学問的評価を受けるにいたった。本書で紹介された「黄金の島(ジパング)」に刺激されたコロンブスが、新大陸を発見するなど、大航海時代に大きな役割を果たした書である。

『振子時計』

Christiaan Huygenus 「Horologivm oscillatorivm. sive de motv pendvlorvm ad horologia aptato demonstrationes geometrice」

著者 ホイヘンス
出版地 パリ
出版年 1673年

ガリレオが、振動の幅に関係なく一定の時間で揺れ動くという振子の等時性を見出した話は有名であるが、ホイヘンスはこれを応用して振子時計を発明した。 本書は、ホイヘンスが発明し改良した振子時計の構造と、それに関連した数学的・力学的な研究について述べたものであり、副題は「幾何学的証明を備えた時計用振子の運動について」である。本書の末尾には、円運動における遠心力理論に関連した13個の定理が述べられている。
ガリレオの「新科学対話」、ニュートンの「プリンキピア」と並ぶ古典力学の三大古典の一つである。

『建築の書』

Serlio, Sebastiano (1475-1554)
『Libro primo d'architettvra, di Sebastiano Serlio Bolognese, nelquale con facile & breue mondo si tratta de primi principij della geometria.』
Venetia:Francesco Senese, 1566

著者 セルリオ
出版地 ヴェニス
出版年 1566年

この全8書におよぶ建築の書はイタリア人建築家セルリオによって書かれたもので、ルネッサンスに偉大な影響を与えた。

第1書:幾何学、第2書:透視図法、第3書:古代建築、第4書:オーダー(柱式)、第5書:宗教建築、第6書:住宅建築、第7書:建築の実際的問題、別冊:扉口のデザインからなる。最初、各所は別々に発売されていたが、各書をあわせて1冊に編集したものに人気があり、版を重ねた。

本書は第1書から第5書までと、別冊を1冊にまとめたものである。

『解剖図録』(仏訳初版)

著者 クルムス
出版年 1734年

本書の蘭訳本、通称「ターヘルアナトミア」(ディクテン訳)が「解体新書」(杉田玄白 前野良沢 訳)の底本である。
著者クルムスはドイツの医学者で、本文は主として身体の各部の名称についての解説、註は実験や当時の学術論争などを解説している。
本書は、1734年玄白らの底本と同時期に出版された仏訳本で、学術的にも非常に興味のある一冊と言えよう。

『日本の結婚式』

高木庭次郎 生没年不明「The ceremonies of a Japanese marriage」

著者 タカギ
出版地 神戸
出版年 1905年

明治期の一般的な庶民の結婚式当日の様子を場面ごとに写真に収め、彩色を施し、1冊にまとめて“写真アルバム”として作成したもので、通称「横浜写真」と呼ばれるものである。

「横浜写真」について
幕末から明治にかけて、日本に写真術をもたらした外国人写真家や、その弟子となった日本人写真家たちが、日本各地の風景や人々の暮らしを撮影、記録した写真のことを総称して「横浜写真」という。浮世絵で培われた技法を応用したモノクロプリントへの繊細な彩色が特徴で、おもに外国人向けの土産物として人気を博した。
1863(文久3)年に来日したイタリア系イギリス人のフェリス・ベアドが、チャールズ・ワーグマンとともに、幕末に開港され日本最大の貿易港となった横浜において、日本の風景や風俗を紹介する写真を撮影、販売したのが、横浜写真の始まりだといわれている。
観光名所の風景や、街並み、神社仏閣、文明開化の建築物、あるいは日本人の風俗や生活習慣をとらえた横浜写真は、当時の世相や写真の歴史を知る資料として貴重である。

『神道』

Schurhammer George S.J.「The way of the gods in Japan」1882-1971

著者 シュールハンマー
出版地 ロンドン
出版年 1923年

ゲオルグ・オットー・シュールハンマーは、ドイツ生まれの教史家でザビエル研究の世界的権威である。大学で神学を学んだ後、当時ドイツで禁じられていたイエズス会へ入会し、ヨーロッパ・インド・日本各地で精力的に研究活動を行い多くの書を為した。
本書は、16~17世紀の日本における神道のありようについて、当時のカトリック布教家が遺した多くの文献と、シュールハンマー自身が行った実地の研究活動とを基に著したものである。
日光東照宮や出雲大社などの建築物についての調査や儀式・神主の装束にいたるまで、綿密な描写と大量の図版によって紹介されている。

『東洋回顧録』

Forbes, James : Oriental memoirs ; selsected and abridged from a series of familiar letters written during seventeen years residence in India: including observations on parts of Africa and South America. London : White, Cochrane, 1813.

著者 フォーブス
出版地 ロンドン
出版年 1813年

本書は著者が17年間に亘るインド滞在中に書いた親友への手紙を整理して刊行したものである。アフリカ、南アメリカ、インド洋航海に関する記述も含んでいる。アクアティント版と石版による彩色図版および銅版による著者肖像画など多くの図版を含んでいる。石版画は特にこの時代に発明されたもので、本書の中の石版画は美術史的にも興味深いものである。

『百科全書』

Diderot-d'Alembert : Encyclopedie, ou dictionnaire raisonne des sciences, des arts et des metiers, par une societe de gens de lettres. Paris : Chez Briasson, 1751-80.

著者 ディドロ・ダランベール
出版地 パリ
出版年 1751-80年

18世紀フランス啓蒙思想の集大成として、またフランス革命の一要因となった本書の価値については今更述べるまでもない。ダランベールを編集責任者とし、執筆者にはディドロ・モンテスキュー・ヴォルテール・ルソー・ケネーなど各分野の改革的代表人物が総動員され、30年の歳月を費やして刊行された。各巻は出版されるたびに大反響をよび、王室・教会は憤慨したが、購読者は増える一方であり、海賊版も各地で出版された。本書こそ正しい意味においてはじめて近代知識を綜合したものであり、近代は本書によって幕が開けられたといえる。

『和英語林集成』

Hepburn, J. C. : A Japanese and English dictionary; with an English and Japanese index by J. C. Hepburn. Shanghai : American Presbyterian Mission Press, 1867.

著者 へボン
出版地 上海
出版年 1867年

来日した最初の米人宣教師の一人へボン(中国名:平文)は、神奈川に診療所をつくり、病人の治療に当たりながら、日本語の研究をした。徳川幕府の倒れた慶応3年に1200部の限定版としてこの日本最初の和英辞典が発行され、その後大幅な増補・改訂を経て、現在のへボン式綴りとなったのである。夫人の開いたへボン塾は、明治学院・フェリス女学院の前身である。

『三十六人歌合』

出版年 慶長5(1600)年写

本書は、柿本人麻呂(人丸)・紀貫之などの三十六歌仙(藤原公任による秀歌撰「三十六人撰」に基づく36人の代表歌人)の秀歌各1首を選び、書写したものである。歌合とは、短歌を左右1首づつ(まれに3首)組み合わせ、優劣を争う風雅な遊戯で、その証本もそう呼んでいる。平安初期に成立し、以来宮廷や貴族の間で流行した。本書には、猿丸大夫の「おく山に紅葉ふみ分けなく鹿のこゑきく時ぞ秋は悲しき」など、小倉百人一種と重なっている歌が6首ある。

『日本植物図譜』

Kaempfer, Engelbertus : Icones selecta plantarum, quas in Japonia collegit et delineavit Engelbertus Kampfer; ex archetypis in Museo Britannico asservatis.London : s. n., 1791.

著者 ケンペル
出版地 ロンドン
出版年 1791年

ケンペルは「廻国奇観」の第5部「日本植物誌」の中に28の植物図を収めたが、それらは日本滞在中の2年間で描写した計256枚に及ぶ植物図がもとになっている。本書はその中の59枚が、イギリスの著名な自然科学者ヨーゼフ・バンクスの手によって編集されたものである。「日本誌」「廻国奇観」に比べても稀少価値の高い資料である。

『恒星表』

Flamsteed, John : Atlas celeste de Flamsteed, approuve par l'Academie Royale des sciences, et publie sous le privilege de cette compagnie. Seconde edition Par M. J. Fortin. Paris : F. G. Deschamps, 1776.

著者 フラムスティード
出版地 パリ
出版年 1776年

著者はイギリスの天文学者でチャールズ2世に建議してグリニッジ天文台を創設し、初代王室天文官兼グリニッジ天文台長に任ぜられた。本書は同天文台において約40年にわたって行った観測に基づいて編集した恒星位置の精密目録である。従来の恒星表の精度は1分角の程度であったがこの恒星表の精度は10秒角であり、約3000個の恒星を含んでいる。のちに航海暦表に採用されて天文航法の発達に貢献し、以後の精密恒星目録の模範となった。本表に付加した「星図帳」が後に出版されたが、この星図帳に採用された恒星命名法(バイヤー記号およびフラムスティード数字)は現在も用いられている。

『蜻蛉集』(仏訳古今和歌集)

Gautier, Judith : Poëmes de la libellule traduits du japonais d'apres la version litterale de M. Saionzi, par Judith Gautier. Paris : Gillot, n. d.

著者 ゴーティエ
出版地 パリ
出版年 1884年

ゴーティエはバレエ「ジゼル」の原作で有名な作家テオフィル・ゴーティエの娘で、ワーグナーやヴィクトル・ユーゴーとも親しかったという美人で東洋趣味の女流作家である。本書は、ソルボンヌ大学への留学経験があり、パリの社交界でも名を馳せた西園寺公望が、伊藤博文に随行渡欧(明治15~16年)した際に、彼女のために「蜻蛉集」の和歌88首を仏訳し、彼女が五行詩に再訳したものである。留学中の日本画家山本芳翠が流麗な大和絵の下絵および彩色挿絵を描いている。

『伊勢物語』 奈良絵本

出版年 寛文(1661-1673)頃写

「伊勢物語」は、平安前期の歌物語であり、現存する歌物語中、最古の作品と言われる。日本古典文学の中で最も伝本、異本の多い作品であり、また、最も写本も多い。古くから和歌のテキストとして親しまれ、また、子女の嫁入り本としても盛んに作製され、美麗な奈良絵本や絵巻の形で伝存しているものも多い。

日本の童話(英訳)ちりめん本

著者 ラフカディオ・ハーン
出版地 東京
出版年 1898-1925年

ちりめん本とはちりめん(一面に細かなしぼを出した絹織物)に似せた和紙に印刷され製本されたもので、明治初期に来日した外国人への土産として英文で出版された。欧米には少ない「生物」「物」を擬人化したおとぎ話など日本の童話や民話を題材にしている。また、浮世絵に培われた職人の精巧な印刷技術の木版刷りで多色カラーの挿絵をふんだんにつかっている。これらの絵本は外国人が強い関心を示し、海外の出版社から注文があったほどであり、現在の古書市場でも珍本として名高い。所蔵品は以下のとおり。
THE BOY WHO DREW CATS(らくがき小坊主)
THE GOBLIN SPIDER(お化けぐも)
THE OLD WOMAN WHO LOST HER DUMPLING(だんごをなくしたおばあさん)
CHIN-CHIN KOBAKAMA(ちんちん小袴)
THE FOUNTAIN OF YOUTH(若返りの泉)

『ペリー提督日本遠征記』

Hawks, Francis L. : Narrative of the Expedition of an American Squadron to the China Seas and Japan performed in the year 1852, 1853, and 1854, under the command of Commodore M. C. Perry, United States Navy, by order of the Government of the United States. Vol. 1-3. Washington : Beverley Tucker, 1856.

著者 ホークス
出版地 ワシントン
出版年 1856年

1853(嘉永6)年ペリー提督率いる黒船が来航し、武力で幕府に開国を迫った。翌(安永元)年再び来日し、日米和親条約に調印した。帰国後政府の委嘱を受け、3回にわたる日本及び中国訪問の記録をまとめたのが本書である。鎖国の夢を破られ、混乱の巷と化した日本を鋭く観察した日本開化史料の中で貴重な存在である。第1巻は東方紀行、第2巻は動植物等の研究報告、第3巻は天体観測の記録である。初代米国駐日総領事ハリスが日米通商条約を調印したのは2年後であった。

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