このページの本文へ移動します。

KINDAI UNIVERSITY

貴重書・コレクション

常設展示

2011年

『クリスマス・キャロル』(初版)、『炉辺のこおろぎ』(初版)、『人生の戦い』(初版)

Dickens, Charles 1812-1870
A Christmas Carol. 1st edition. 1843
The Cricket on the Hearth. 1st edition. 1846
The Battle of Life. 1st edition. 1846

写真は「クリスマス・キャロル」より

著者 ディケンズ
出版地 いずれもロンドン
出版年 1843年、1846年、1846年

「クリスマス・キャロル」
強欲な主人公スクルージが、3人の幽霊と出会うことによってクリスマス・イブの夜に改心し、貧しい人々に手をさしのべるようになるという心暖まる物語。 後に「クリスマスの書」として一冊にまとめて出版された作品の第1作目(全5作)。演劇・映画などの原作として幾度も取り上げられるなど、現在も多くの人に愛されている作品である。

「炉辺のこおろぎ」
「クリスマスの書」の第3作目。幾つかの家庭の悲喜劇の物語。幻影形式のクリスマス物語。

「人生の戦い」
「クリスマスの書」の第4作目。ファンタジーの要素(「クリスマス・キャロル」における幽霊、「炉辺のこおろぎ」のこおろぎの精など)が含まれていない点が、他の「クリスマスの書」の作品と趣を異にしている。献身的な性格の姉妹が最後は共に幸せな家庭を築き、人生を否定的に考えていた姉妹の父親も改心をするという物語。

ドイツ国民に告ぐ

著者 ヨハン・ゴットリープ・フィヒテ
出版地 ベルリン
出版年 1808年

フィヒテ(1762-1814)は、カントの哲学を継承しつつ、ドイツ観念論を創始した哲学者。
1803年にナポレオン戦争が勃発し、ヨーロッパが激変していくなか、1807年7月のティルジット講和条約で、プロイセンの敗北は確定した。祖国の危機に際し、熱烈な祖国愛に燃えたフィヒテは、フランス軍の占領下に置かれたベルリン・アカデミーの講堂で、同年12月13日から翌年3月まで計14回にわたって、当時まだ領邦国家群であったドイツの国民に向けて公開講演を敢行した。講演のなかで、フィヒテはフランス文化に対するドイツ民族文化の優秀さを説き、ドイツ再興のためには、国民全体の道徳的革新が不可欠と考え、国民教育の重要性を主張した。
本書は、この一連の講演の内容を出版物としてまとめたものである。

河内名所圖會(かわちめいしょずえ)

著者 秋里 籬島(あきさと りとう)著
丹羽 桃溪(にわ とうけい)画 [丹羽 元國(にわ もとくに)]
出版年 享和元(1801)年刊 六冊
島本文庫

名所図会は、江戸時代後期以降に刊行され、地域についての事物の来歴、地理的なことなどを客観的に記述し、挿絵は絵としても鑑賞できる名所案内記である。
本書の著者である秋里籬島は、『都名所図会』安永9(1780)年の刊行後、『大和名所図会』寛政3(1791)年、『住吉名勝図会』寛政6(1794)年、『和泉名所図会』寛政8(1796)年を次々と著わし、「名所図会」流行の先駆者となった。丹羽桃溪は『摂津名所図会』寛政8(1796)年刊などの名所図会、狂歌本、滑稽本などの挿絵画家として活躍した。
河内国は山城川(淀川)の「川の内の方」という意味で国名が生まれたと言われるように、淀川以南、山城、大和、紀伊、和泉、摂津国に囲まれた地域である。本書ではこの広範囲に及ぶ地形、自然史、古代からの歴史と人々の生活が、挿絵とともに興味深く編纂されている。

熊野遊記・熊野名勝図画(くまのゆうき・くまのめいしょうずが)

著者 北圃 恪斎(きたばたけかくさい)著 [北圃 恭(きたばたけきょう)]
木 芙蓉(もくふよう)画 [鈴木 芙蓉(すずきふよう)]
出版年 寛政十三(1801)年刊 三冊
島本文庫

本書の著者である北圃恪斎は、江戸時代の代表的な書物問屋であり、その発展に多大な貢献をした須原屋茂兵衛(四代目)といわれている。親交の深かった江戸中期の漢学者渋井太室(しぶいたいしつ)のすすめに従い、北圃恪斎は愛した熊野の漢文体紀行文をまとめ上げ地誌として完成させた。
恪斎の没後その遺志を継いだ六代目須原屋茂兵衛の手によって、寛政十三年[享和元年]に鈴木芙蓉の画本を付し、刊行されたものが本書である。

『ソルフェリーノの思い出』(初版)

Dunant, Jean-Henry (1828-1910)
Un souvenir de Solferino. Geneve, 1862.

著者 ジャン・アンリ・デュナン
出版地 ジュネーヴ
出版年 1862年

著者はスイスの社会事業家で国際赤十字社の創立者。1901年、博愛、平和に尽くした功績によって第1回ノーベル平和賞を受賞した。
本書は、1859年イタリア統一戦争で4万人を超える死傷者を出した「ソルフェリーノの戦い」によって傷ついた兵士の悲惨な光景を目の当たりにし、負傷者の救護活動に参加した経験と傷病者救護のための中立的民間国際機構創設の必要を述べたもので、ヨーロッパ各国に多大の反響をよんだ。著者の主張と努力は実を結び、1863年に赤十字を各国に作るための赤十字規約ができ、翌1864年には負傷兵を保護・救済するための国際条約である「ジュネーヴ条約」が結ばれ国際赤十字組織が誕生した。

ソルフェリーノの戦い
イタリア統一運動において、対オーストリア第二次独立戦争の運命を決したといわれる1859年6月24日の戦闘。イタリア独立を支援するナポレオン3世指揮下の8万のフランス軍とフランツ・ヨーゼフ皇帝指揮下の9万のオーストリア軍とが、北イタリアのガルダ湖南方の丘陵地ソルフェリーノで激突した。死傷者はフランス軍1万1000人以上、オーストリア軍約2万人に上ったといわれる。
このソルフェリーノとサン・カッシーノでのフランス軍の勝利と、同日にサン・マルティーノで収めたイタリアのサルデーニャ軍の勝利との結果、サルデーニャ・フランス連合軍は全ロンバルディアを制圧することになった。

『日本大百科全書』(ニッポニカ) 参照

『蜻蛉集』(初版)

Poëmes de la libellule / traduits du japonais d'aprés la version litterale de M. Saionzi ; par Judith Gautier ; illustré s par Yamamoto[1884]

著者 ジュディット・ゴーティエ
出版地 パリ

フランスの女流詩人・作家でヴァーグナー(1813-1883)やユゴー(1802-1885)と親しかったジュディット・ゴーティエによる和歌の翻訳詩集である。西園寺公望(1849-1940)の直訳をもとに音節と韻をそろえてフランス語の5行詩に訳している。前文の古今集仮名序の抄訳に続いて八代集などから88首が翻訳されている。日本語の原歌はほとんど明示されていないが、巻末に公望による直訳が和歌の作者名とともにまとめられている。
著者は父であるロマン派の文人テオフィル・ゴーティエ(1811-1872)とロンドン万博(1862)を訪れて以来東洋に関心を持ち、中国語を学び、漢詩の翻訳集も発表していた。幕末以降日本人も渡仏するようになり、サロンで交流するようになった。公望は1870年からおよそ10年に及ぶ留学期に、クレマンソー(1841-1929)など政治家やエドモン・ゴンクール(1822-1896)のような知識人、芸術家と交際しており、著者の依頼で本書にかかわった。
挿画は当時留学中のパリで創作活動をしていた画家、山本芳翠(1850-1906)による。多色刷り石版と活版印刷が併用され、用紙は全て日本の局紙である。ジャポニスムの流行した当時、詩と挿絵の調和が新鮮に受け取られた。

  • 画像の詩は、『古今和歌集』の素性法師のものである。
    見渡せば 柳桜を こきまぜて 都ぞ春の 錦なりける

展示の足跡