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KINDAI UNIVERSITY

貴重書・コレクション

常設展示

2013年

『クリスマス・ブックス』5冊

Christmas Books.
Charles Dickens, 1812-1870

著者 ディケンズ
出版地 ロンドン
出版年 1943-1848年

チャールズ・ディケンズ(Charles Dickens, 1812-1870)は、ヴィクトリア朝時代を代表するイギリスの小説家。『オリバー・ツイスト』、『二都物語』など多くの作品があるが、中でも『クリスマス・キャロル』を始めとするクリスマスの物語は多くの人に愛された。

リスマスの1週間前に書き下ろし作品として、1843年から1848年にかけて、ほぼ毎年刊行された『クリスマス・キャロル』、『鐘の音』、『炉辺のこおろぎ』、『人生の戦い』、『憑かれた男』の5作品は、1852年に『クリスマス・ブックス』と題して1冊にまとめられている。また、ディケンズは1850年から1867年までクリスマスに関する20作品を執筆している。これらの作品により、ディケンズの名とクリスマスは分かちがたいものとなっている。なお、展示作品は全て初版本である。

『クリスマス・キャロル』 ロンドン 1843年
A Christmas carol, in prose : being a ghost story of Christmas.
London: Chapman & Hall, 1843.

『鐘の音』 ロンドン 1845年
The chimes : a goblin story of some bells that rang an old year out and a new year in.
London: Chapman & Hall , 1845.

『炉辺のこおろぎ』 ロンドン 1846年
The cricket on the hearth : a fairy tale of home.
London: Bradbury & Evans, 1846.

『人生の戦い』 ロンドン 1846年
The battle of life : a love story.
London: Bradbury & Evans, 1846.

『憑かれた男』 ロンドン 1848年
The haunted man and the ghost's bargain.
London: Bradbury & Evans, 1848.

 

『鐘の音』について
第2番目に刊行されたクリスマスの本『鐘の音』の評判は高く、2万部の売れ行きであった。
貧しく善良な公認配達屋のトビー・ヴェックは、毎日聞こえてくる古い教会の鐘の音に愛着を感じ、自分に語りかけてくれることばとして受け止めている。生活の一部となっているこの鐘の音は、貧しさ故に虐げられた運命から抜け出せないと感じている彼の心情と共に変化し、物語を展開させていくことになる。大晦日の夜、彼は鐘の精霊によって悪夢に引き込まれるが、恐ろしく悲しく苦しい体験の末に、真実に気付かされ、自尊心と誇りとを取り戻す。そして、元日に鳴り響く鐘の音で現実に呼び戻され、娘の幸せな結婚と周囲の人々の祝福と笑顔に包まれる。
作者は、ファンタジーを自在に組み込みながら、貧者と富める者と当時の社会の歪みを描き、痛烈な社会批判をおこなっている。12葉から成る挿絵は、四人の画家によって、描かれている。

『アントニオ・ガウディ』

Antonio Gaudi.
Rafols, Jose, 1889-1965
Barcelona: Canosa, 1929.

著者 ラフォルス
出版地 バルセロナ
出版年 1929年

ラフォルスは、スペインの建築家、美術研究家。本書は、サグラダファミリア聖堂の設計などで知られる建築家アントニオ・ガウディ(1852-1926)についての最初の研究書である。ガウディの直弟子であった著者は、ガウディについての挿話や晩年の言葉を交えて伝記を記し、巻末にはガウディ文献目録を列挙している。
1928年にカタロニア語版が、1929年にスペイン語版が刊行された。本書は、スペイン語版である。

『大君の都』

The Capital of the Tycoon : a narrative of a three years' residence in Japan. 2vols.
Alcock,Rutherford, 1809-1897
London: Longman, 1863.

著者 オールコック
出版地 ロンドン
出版年 1863年

オールコックは、イギリスの初代駐日英国公使で、1859(安政6)年に来日。
1861(文久1)年、水戸浪士の一団に公使館の東禅寺を襲撃されたが、かろうじて難をまぬかれた。1864(元治1)年、英・米・仏・蘭連合艦隊が下関砲撃を強行し、長州藩に多大の損害を与えたが、その処理方法で外相ラッセルと対立し、本国に召還され帰国。再び来日することはなかったが、翌年中国公使として北京に赴任し、アジア外交に腕を振るった。

著作には多くの日本関係のものがあるが、滞日3年間の体験を記した本書は、当時の日本を知るための貴重な文献としての評価が高い。また、日本社会に対するすこぶる豊かな観察と鋭い分析、それに東西文明の本質に関する深い洞察とを備えた本格的研究書でもある。表題の「大君」とは徳川将軍のことで、幕末に用いられた称号である。

本書のなかには、オールコックが多事多難な公務のかたわら、外国人として初めて富士山に登頂した様子も詳細に記されている。

『毛猿』

The hairy ape
O'Neill, Eugene 1888~1953
King, Alexander (illust.)
New York : Horace Liveright , 1929.

著者 オニール
出版地 ニューヨーク
出版年 1929年

オニールは、米国の劇作家。写実心理劇から表現主義、さらに超自然主義に移り、神を見失い安住の場を求めて苦悩する人間を描いた。代表作に『アンナ・クリスティ』『喪服の似合うエレクトラ』など。1936年、ノーベル文学賞受賞。
『毛猿』は、1922年にプロヴィンスタウン・プレイヤーズ(劇団)により、プレイライツシアターで上演された戯曲。その後、ブロードウェイでも上演された。運命と葛藤する主人公ヤンクの悲劇を描く。
本書は、1929年に出版された豪華装丁本であり、アレクサンダー・キングによるアールデコ様式のカラーイラストが9編添えられている。懊悩する主人公、上流階級の人々、労働者、毛猿(ゴリラ)が緊迫したタッチで描かれている。775冊出版されたうち、本書にはNo.7が押され、オニールの自筆サインがある。

『東京土産』

Tokyo miyage / by S.Akimoto ; illustrated by H.Ogawa
Yokohama : Kelly and Walsh , 1912

著者 アキモト
出版地 東京
出版年 1912年

本書は、1897(明治30)年3月22日に創刊された日本人による最初の日刊英字新聞『ジャパン・タイムズ』の記者だった著者、秋元俊吉が、外国人向けに、日本の風俗・習慣(日本人にとっての土産、着物、茶の湯、雛祭り、端午の節句など)について紹介したものである。

『天経或問』 2巻4冊

著者 游子六(ゆうしろく)編、西川正休 訓点
出版地 江戸
出版年 享保15(1730)年刊

『天経或問』は、中国清代の游子六(游芸)が、イタリア人宣教師から西洋天文学を学び、康熙14(1675)年に出版した天文学書である。朱子学的な天文学を基盤として、西洋の天動説について紹介がなされているほか、地動説についての記述も見られる。

前集(1675年)と後集(1681年)があり、そのうち前集が鎖国政策の実施により西洋との交流が絶たれていた日本において輸入が許可され、多くの人々に影響を与えた。貞享2(1685)年に、日本人による初めての改暦を行った初代幕府天文方の渋川春海(しぶかわ はるみ)もその一人である。
本書は、享保15(1730)年、後に幕府天文方となった西川正休により訓点を付され出版された和刻本であり、これ以降『天経或問』は、日本において広く知られるようになった。

『河内名所圖會』 6巻6冊

著者 秋里籬島(あきさと りとう)著、
丹羽桃溪(にわ とうけい)画
出版地 浪華
出版年 享和元(1801)年刊
島本文庫

名所図会は、江戸時代後期以降に刊行され、地域についての事物の来歴、地理的なことなどを客観的に記述し、多くの挿絵を有する名所案内記で、旅行ガイドとしての役割も果たした。特に秋里籬島によるものは、当時では珍しい俯瞰図を多用した挿絵が特徴である。
秋里籬島は京都の読本作者で俳人。安永9(1780)年に刊行した『都名所図会』が大当たりしたのをきっかけに絵師を連れて各地を取材旅行し、『大和名所図会』、『和泉名所図会』などを次々と著わして「名所図会」流行の先駆者となった。丹羽桃溪は大阪の絵師で、『摂津名所図会』などの名所図会、狂歌本、滑稽本などの挿絵画家として活躍した。

河内国(大阪府南東部)は、古代より難波と大和を結ぶ要衝として繁栄。南北朝時代には南朝の根拠地、戦国時代には群雄争奪の舞台となり、織田信長、豊臣氏の領国を経て、江戸時代には幕府の直轄地、大名・旗本領や寺社領が交錯した。
本書巻之4は若江郡、巻之5は髙安郡、河内郡と、本キャンパス周辺の地について記述されている巻で、若江城墟、弥刀神社、石切剣箭神社といった名所・名跡のほか、『伊勢物語』筒井筒の段に由来する故事や、楠木正行が討死した四条畷合戦の『太平記』からの引用と挿絵などの記述もある。また、寺社の什器や古文書などが図入りで紹介されている。

『通俗忠義水滸傳』全44巻60冊 拾遺 全20巻20冊

著者 岡島冠山編訳
[拾遺 丟甩道人訳]
出版地 江戸 大坂 京都
出版年 江戸後期刊

『通俗忠義水滸傳』は、その刊行によって日本に『水滸伝』の存在を知らしめた重要な作品である。『本朝水滸伝』をはじめ『水滸伝』翻案ものなど数多くの作品が生み出される契機となり、山東京伝、滝沢馬琴など江戸文学の作家に与えた影響は極めて大きい。
本書の刊記には、三都會書林とあり、東武(江戸) 岡田屋嘉七、浪花(大坂) 河内屋喜兵衛、河内屋新次郎、河内屋藤兵衛、皇都(京都) 俵屋清兵衛が名を連ねている。刊年の表示はないが、三都會書林の活動時期などを勘案すると、出版時期は、江戸時代後期と推定される。

伊勢参宮名所図会 5巻6冊・附2巻2冊

出版年 寛政9(1797)年

本書は、江戸時代の伊勢参宮の道中の様子や名所旧跡、伊勢神宮の祭祀、神事について挿絵入りで案内したものである。作者は明確ではないが、蔀関月(しとみかんげつ)編・画、秋里籬島(あきさとりとう)撰と考えられている。参宮の多様な経路を、京都と桑名からとの代表的な二経路に集約している。
巻1、巻2では東海道・伊勢別街道をたどり京都三条橋から関宿を経て、伊勢街道との合流点である一身田までの道中を記している。巻3では東海道・伊勢街道をたどり桑名から伊勢街道に入る日永を経て小俣までを、巻4では伊勢街道を進み宮川から五十鈴川まで、巻5では内宮、二見浦など周辺と伊勢神宮の祭祀などについて、附録では近江国内の名所旧跡等について記している。挿絵も多く、お伊勢参りの旅への誘いとなり、無事に戻れば旅の思い出をたどり楽しむこともできるなど、読者の評判も良く、再刊もおこなわれた。

伊勢神宮は平安時代まで私的な参拝は禁止されていたが、室町期にはいると御師(おんし)と呼ばれる神職が信仰拡大、財源確保などをはかるようになり、伊勢信仰の普及に伴い一般の参宮が行われるようになった。
社会的、経済的に安定した江戸時代には、街道筋の整備と安全性も確保され、庶民は「寺社詣で」と称した物見遊山の旅を楽しむようになった。信者の組織化等もおこなわれ、御師が往来手形の発行や参詣、旅の利便をはかるようになり、「伊勢講」を組んでの参宮が盛んになった。「御蔭参」(おかげまいり)といわれる集団参宮などもたびたび起った。
平成25年は第62回式年遷宮に当たり、20年に1度社殿等を新しくする大祭がおこなわれる。

展示の足跡