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KINDAI UNIVERSITY

貴重書・コレクション

常設展示

2014年

『祈祷書』

The book of common prayer and administration of the sacraments and other rites and ceremonies of the church according to the use of the United Church of England and Ireland, together with the Psalter or Psalms of David, pointed as they are to be sung or said in churches, and the form and manner of making, ordaining and consecrating of bishops, priests and deacons.
Oxford : printed at the University Press, 1857.

画像は表紙(部分)

出版地 オックスフォード
出版年 1857年刊

本書は、イギリス国教会の祈祷書である。ローマカトリック教会との分離後、エドワード6世時代の1549年、トーマス・クランマーによって、プロテスタントの教義を取り入れた最初の英語の祈祷書『一般祈祷書』が編集され、同年に議会は国教会の儀式・祈祷を統一する目的で礼拝統一法を定め、一般祈祷書の使用を命じた。その後、清教徒革命を経て、王政復古直後の1662年に改定された祈祷書が300年以上にわたって使われた。宗教改革の精神を反映したもので、聖書日課表、諸祈祷、礼拝、聖職按手式など様々な典礼の手順を示す内容となっている。
本書の表と裏の表紙には、銅板のレリーフがついている。表はクリスマス、イエス・キリストの生誕の場面で、空にはベツレヘムの星が輝き、マリアに抱かれた幼子のイエスに東方から来た3人の賢者が贈り物を捧げている。裏はイエス・キリストの復活の場面で、復活したキリスト、キリストの復活を告げる天使、驚く番兵たち、香油の壷を持った3人のマリア、空になった墓などが表現されている。

『座敷講談 一休可笑記(いっきゅうかせうき)』

著者 編著者未詳
出版地 大坂
出版年 寶永2(1705)年刊

一休宗純(1394-1481)は室町中期の臨済宗の高僧。号は狂雲。京都紫野大徳寺の住持。詩や書画が巧みで非凡な人格であったが奇行も多く、後小松天皇の落胤説など様々な伝説や俗伝、また『一休物』と分類される法語や説話集が多く伝えられている。

展示本は江戸時代初頭から天和年間までに京・大坂で盛んに出版された『仮名草子』と呼ばれる物語集の一つ。版木に文字と挿絵を彫り込んだ製版印刷本である。内容は啓蒙教訓的なものが多く、当時の風俗を活写した絵入りの漢字仮名交じり文で書かれている。テレビアニメ「一休さん(1975~1982年にテレビ朝日系列で放映)」は、一休禅師の機知に富んだこれら滑稽噺を元に新たな創作をつけ加えたもの。

「老師世俗の愚盲を悟らしめんがため、五戒を滑稽説法にし、中に禅機の大事をまじへて悟道を示せし本文に、丸かがみを上層に加へ、水鑑を巻末に附して全部とす」とあるように、本文6巻のうち5巻までは、一休が蜷川新右衛門たちに善悪五戒の説法を行うという仮託の設定で描かれ、談義説法口調の文章で全26に渡って書き綴られる。
6巻は内題に「一休水鏡増注」と記されており、一休本人の著述(と擬せられる)とその注釈を採りこんだもの。また頭書きには『一休丸鑑』と称する一休説話集と「一休百首往生要哥」と題する道歌62首が収められている。

『装飾活字』

「Fine movable initials, "A" to "Z". 26 pieces」

制作者不明、制作年不明

活字とは、活版印刷に使う字型で、柱状の金属の一面に文字を左右反対に浮き彫りにしたものである。
装飾活字は、本文に使う書体活字とは別に、書面を美しくレイアウトするために作製されたもので、展示品は 草花の絵で精細に装飾された頭文字用の活字である。

『日本:一つの試論』

Lafcadio Hearn, 1850-1904
"Japan : an attempt at interpretation"
New York and London : Macmillan Co. , 1904

著者 小泉八雲
出版地 ニューヨーク、ロンドン
出版年 明治37(1904)年

本書は、小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)が生涯で最後に執筆した書である。コーネル大学などで講義を行うために書かれたが、健康上の理由などから洋行が中止となり、その講義資料をもとに、新たに出版物として書き直されたものである。

著者のこれまでの日本研究・日本観の集大成ともいえる内容となっており、古代仏教の伝来から徳川家康の鎖国政策、四十七士の吉良邸討ち入りなど、多岐に渡る。全21篇のうち1~9章までを日本の宗教観と信仰について割くなど、日本独特の慣習や歴史を読み解くうえでの宗教の重要性を示唆している。
この作品の校正直後に、八雲は心臓発作のため急逝した。

『不滅頌』

Wordsworth, William, 1770-1850 SIntimations of immortality from recollections of early childhood. Strand [London]: Edward Arnold, 1903. New York: Samuel Buckley, 1903. Campden: printed at the Essex House Press, 1903.

著者 ワーズワース
出版地 ロンドン・ニューヨーク
出版年 1903年

『不滅頌』は、イギリスロマン派、桂冠詩人ウィリアム・ワーズワース(1770-1850)の代表的抒情詩である。著者は、自然と人間の魂の往来により、魂の内面的交感を歌う自然詩人と言われた。

本書は、19世紀後半イギリスで、ウィリアム・モリスの活動をきっかけに始まった、私家版印刷所の流れをくんだエセックス・ハウス・プレスの「名詩シリーズ」14篇の1篇で、魅力あふれる手彩色の小冊子としても知られ、ウォルター・クレインが口絵を描き、頭文字は金色・赤色など原色の活字が使用され、色鮮やかな口絵とうまくマッチしている。カズロン活字。ヴェラム刷り。150部限定。

『土星の体系』

Huygens, Christian (1629-1695)
Systema Satvrnivm, sive De causis mirandorum Satvrni phanomenon, et Comitoe ejus Planeta Novo.
Haga-Comitis : Adriani Vlacq , 1659

著者 ホイヘンス
出版地 ハーグ
出版年 1659年

クリスティアーン・ホイヘンス(1629~1695年)は、オランダの数学者、物理学者、天文学者。父・祖父とともに大臣を務めたハーグの名門に生まれた。政治家であり著名な詩人として活躍した父コンスタンチンは、デカルトと親交があり、著者は幼い頃から、デカルトの思想に影響を受けた。
著者は、レンズの新しい研磨法を発見して自作の望遠鏡を作製し、1655年に土星の衛星第1号(タイタン)を発見した。さらに、ガリレオ・ガリレイ(1564~1642年)が明確にすることができなかった土星の環を発見した。

本書は、それらの土星に関する詳細な観測に基づき、スケッチとともにその運行などを論じた書である。土星の研究のほか、振り子や光などの研究にも力を注ぎ、『振子時計』(1673年)、『光についての論考』(1690年)などの主著がある。
2004年に土星探査機カッシーニから放出され、タイタンに着陸したNASAの小型機には、著者の名前がついている。

『唐詩選畫本(とうしせんえほん)』7巻35冊

出版地 江戸
出版年 寛政3 [1791]-天保7[1836]年刊

『唐詩選』は、中国、明代に編まれた唐詩の選集。清代には学習塾の教科書として盛んに活用された。編者とされる李攀竜(りはんりゅう 1514-1570)は、盛唐時代の杜甫・李白・王維などを愛した詩人で、全体の約3分の2を盛唐の詩が占める一方、中・晩唐の白居易や杜牧等は一首もとられていない。
日本では、江戸時代中期の儒学者、荻生徂徠(1666-1728)が推進し、徂徠門下の服部南郭(1683-1759)が校訂出版したことが、唐詩流行のきっかけとなり、広く普及した。江戸の俗文学への影響も大きく、その流行機運を捉えて、絵入りで刊行されたのが、本書である。
本書は、唐詩選の各編について、その内容を挿絵として描き、本文及び簡単な説明が書かれたもので、天明8(1788)年から天保7(1836)年までの間に、各編5冊ずつ刊行された。
鈴木芙蓉(1749-1816)、北尾重政(1739-1820)ほか、編毎に画家が異なり、6・7編は、葛飾北斎(1760-1849)の挿絵であることで特に知られる。展示は、その6編と7編である。

  • 当館では、初編は文化2(1805)年再刻、2編は文化11(1814)年再板を所蔵

『天経或問』 2巻4冊

著者 游子六(ゆうしろく)編、西川正休 訓点
出版地 江戸
出版年 享保15(1730)年刊

『天経或問』は、中国清代の游子六(游芸)が、イタリア人宣教師から西洋天文学を学び、康熙14(1675)年に出版した天文学書である。朱子学的な天文学を基盤として、西洋の天動説について紹介がなされているほか、地動説についての記述も見られる。

前集(1675年)と後集(1681年)があり、そのうち前集が鎖国政策の実施により西洋との交流が絶たれていた日本において輸入が許可され、多くの人々に影響を与えた。貞享2(1685)年に、日本人による初めての改暦を行った初代幕府天文方の渋川春海(しぶかわ はるみ)もその一人である。
本書は、享保15(1730)年、後に幕府天文方となった西川正休により訓点を付され出版された和刻本であり、これ以降『天経或問』は、日本において広く知られるようになった。

展示の足跡