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KINDAI UNIVERSITY

貴重書・コレクション

常設展示

2019年

『主のたとえ話』 [パピエ・マシェ]

〔illuminated by Henry Noel Humphreys〕(1810-1879)
Parables of our Lord..
London : Longman, Brown, Green and Longmans, 184-.

主のたとえ話

出版地 ロンドン
出版年 1840年代

本書は、新約聖書のマタイ、ルカの福音書からイエス・キリストが語ったとされる放蕩息子や、良きサマリア人、種蒔く人などのたとえ話を集め、クロモリトグラフ(多色石版)で華麗に装飾された本である。装飾を行ったハンフリーズ(1810-1879)はバーミンガムの生まれで、本の挿絵画家として、特に博物学関連の本で成功した。1840年代のイギリス出版界では、主に聖書からとった文を中世風の装飾で飾ったプレゼント用の本が売り出され人気を博したが、ハンフリーズはこのような彩色された本の先駆者の一人であった。
 装丁にも工夫が凝らされており、パピエ・マシェ(紙張り子)で作られ、中世の木製の表紙のような印象を与えている。表紙は9つの部分に分かれており、中心に種蒔く人、周りに穀物と茨が絡まっている。角にはそれぞれ4福音書の作者を象徴するマタイの天使、マルコのライオン、ルカの牛、そしてヨハネの鷲がかたどられている。中心の左右の部分は良い木と悪い木のたとえ話をあらわしており、左の良い木には実がなり、右の悪い木は根元に斧がささっている。

『エンディミオン』

エンディミオン

著者 キーツ
出版地 ロンドン:ゴールデン・コッカレル・プレス
出版年 1947年

 ゴールデン・コッカレル・プレスは、1920年にハロルド・ミジリ・テイラー(Harold Midgley Taylor, 1893-1925)によって設立されたプライベート・プレス(私家版印刷所)。閉鎖するまでの41年間に、約10種類の活字を使用して211点、224巻を刊行した。テイラーは1925年に病死し、ゴールデン・コッカレル・プレスは版画家のロバート・ギビングス(Robert Gibbings, 1889-1958)と彼の妻モイラが事業を引き継ぎ、挿絵入り本の復興に大きな貢献を果たした。『エンディミオン』は、イギリスの美の詩人と言われるジョン・キーツ(John Keats,1795-1821)の長篇詩。
 本書の美しい58枚の挿絵は、ニュージーランド出身の画家で版画家のジョン・バックランド=ライト(John Buckland-Wright,1897-1954)による。

『ジャングルブック』 『続ジャングルブック』

ジャングルブック

著者 キップリング
出版地 ロンドン
出版年 1894年、1895年

 『ジャングルブック』は、イギリスの小説家で詩人のラドヤード・キップリングが、1894年に出版した代表作。翌1895年には続編が出版された。狼に育てられた少年モウグリと動物たちの冒険が描かれた連作が特に有名で、何度も映画化されている。最近では2016年、実写映画版が世界70カ国以上で公開された。
 著者は、インド生まれで、6歳のとき教育を受けるためにイギリスへ渡った。1882年にインドに戻り、新聞記者として活動するかたわら、短編集を執筆し始める。1889年 帰国後、多くの小説を書いて人気を得た。1907年には、ノーベル文学賞を41歳の史上最年少で、イギリス人としては初めて受賞した。

*見開き展示本は、9月は『ジャングルブック』 10月は『続ジャングルブック』を予定しています。

『真夏の夜の夢』

真夏の夜の夢

著者 シェイクスピア
ラッカム画
出版地 ロンドン・ニューヨーク
出版年 1908年

 アーサー・ラッカムは、「挿絵の黄金時代」と呼ばれる19世紀後半から1930年代にかけて活躍したイギリスの挿絵画家である。
 本書は、ラッカムがシェイクスピアを題材にして描いた妖精画集。総ヴェラム装で天金の豪華本、限定1000部でラッカムの署名が入っている。40点の幻想的で美しいカラー挿絵は、数多くの挿絵を手がけたラッカムの作品のなかでも傑作といわれている。
 彼の描いた妖精たちは「ラッカメア・フェアリー」と呼ばれ、人気を博した。

『大和名所圖會』 全6巻7冊

大和名所圖會

著者 秋里籬島撰
竹原春朝斎画
出版地 浪華
出版年 寛政3(1791)年

 秋里蘺島(生没年不詳)は、京都の俳人である。竹原春朝斎の画による『都名所図会』の大ヒットにより、全国各地をまわり多数の名所図会を出版した。
 本書は、大和国疋田村の地誌研究家、植村禹言(うえむら のぶこと)(?-1782)の遺志を継ぎ、秋里籬島がその草稿を得て撰したものである。
はじめに、大和の来歴、以下、郡ごとに分けて神社仏閣、名所旧跡についての由来と現状を述べている。春朝斎は浮世絵師としての巧さを発揮し、その場所ごとの由来を縁のある和歌と絵図で描いている。
 興福寺や奈良町、潮水が湧くとして聖地とされた吉野川の潮淵(昭和34年の伊勢湾台風で消滅)など、現存するものから失われたものまで、数多くの大和国の名所が紹介されている。

シュメール粘土板文書

A Sumerian clay tablet relating to Drehem document
B.C. 2028.

シュメール粘土板文書

制作者不明  
出版年 紀元前2028年

 粘土板文書は、柔らかい粘土で長方形の書字版を作り、その上にアシの茎の尖筆を使って語や音節を表す楔形文字を記したもの。日にあてて粘土を乾燥させると保存がきき、特に大切なものは、火で焼いて固く丈夫にした。保存に適しているという利点はあったが、重くて持ち運びが大変だったため、のちにパピルスや羊皮紙に代わっていった。
 展示品は、ウル第3王朝最後のイビシン王朝の最初の年に行われた家畜の売買に関する文書。349頭の受取と、その支出を楔形文字で記している。

『地底の国のアリスの冒険』 自筆原稿 ファクシミリ版

地底の国のアリスの冒険

著者 キャロル
出版地 ロンドン

 本書は、世界でもっとも有名な児童文学のひとつ『不思議の国のアリス』(1865年)の原型となった作品。1862年、オックスフォード大学の数学講師をしていたキャロルは、クライスト・チャーチの学寮長リデルの3人の娘に自作の物語を聞かせると、次女アリスからこの物語を本に書くようにねだられる。キャロルは、アリスを物語のモデルとし、本文だけでなく自らが挿絵や扉絵を描き、1864年にクリスマスプレゼントとして贈った。『不思議の国のアリス』の約半分の長さながら、物語の骨格は既に出来上がっており、魅力的な作品となっている。
 展示品は、アリスに贈った自筆原稿のファクシミリ版である。オリジナル版は、英国図書館が所蔵している。

『オックスフォード大学の歴史』 全2

A history of the University of Oxford : its colleges, halls, and public buildings : in two volumes. London : Printed for R. Ackermann, by L. Harrison and J.C. Leigh, 1814.

オックスフォード大学の歴史

出版地 ロンドン
出版年 1814年

 本書は、ロンドンのアッカーマン社の刊本。オックスフォード大学の歴史と、建造物、風景を多くの美しい彩色アクアチント(18世紀に発明された腐食銅版画の一種)を交えて紹介している。オックスフォード大学は、英語圏最古の大学で、独立した自治権を持つカレッジとパーマネント・プライベート・ホールから構成されている。それらの中でも1546年に国王ヘンリー8世により創設された最大規模のクライストチャーチ・カレッジは、映画「ハリーポッター」の撮影でも使用され、特にグレートホールという食堂のシーンは有名で、世界中から多くの観光客が訪れる人気スポットとなっている。
 アッカーマン社は、ドイツから移民したルドルフ・アッカーマンが1796年にロンドンに創立した出版社。18世紀の終わりから19世紀の初めまで美しい版画集をいくつも出版し、当時人気を博した。

『伊勢参宮名所図会』 5巻6冊・付2巻2冊

伊勢参宮名所図会

著者 蔀関月(しとみかんげつ) 編・画
秋里籬島(あきさとりとう) 撰
出版地 大坂
出版年 寛政9(1797)年

 本書は、江戸時代の伊勢参宮の道中の様子や名所旧跡、伊勢神宮の祭祀、神事について挿絵入りで案内したものである。作者は明確ではないが、蔀関月編・画、秋里籬島撰と考えられている。参宮の多様な経路を、京都と桑名からとの代表的な二経路に集約している。
 巻1、巻2では東海道・伊勢別街道をたどり京都三条橋から関宿を経て、伊勢街道との合流点である一身田(いしんでん)までの道中を記している。巻3では東海道・伊勢街道をたどり桑名から伊勢街道に入る日永(ひなが)を経て小俣までを、巻4では伊勢街道を進み宮川から五十鈴(いすず)川まで、巻5では内宮、二見浦(ふたみうら)など周辺と伊勢神宮の祭祀などについて、附録では近江国内の名所旧跡等について記している。挿絵も多く、お伊勢参りの旅への誘いとなり、無事に戻れば旅の思い出をたどり楽しむこともできるなど、読者の評判も良く、再刊もおこなわれた。

 伊勢神宮は平安時代まで私的な参拝は禁止されていたが、室町期にはいると「御師(おんし)」と呼ばれる神職が信仰拡大、財源確保などをはかるようになり、伊勢信仰の普及に伴い一般の参宮が行われるようになった。
 社会的、経済的に安定した江戸時代には、街道筋の整備と安全性も確保され、庶民は「寺社詣で」と称した物見遊山の旅を楽しむようになった。信者の組織化等もおこなわれ、御師が往来手形の発行や参詣、旅の利便をはかるようになり、「伊勢講」を組んでの参宮が盛んになった。「御蔭参(おかげまいり)」といわれる集団参宮などもたびたび起った。

展示の足跡