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KINDAI UNIVERSITY

貴重書・コレクション

常設展示

2008年

『クリスマス・キャロル』(初版)、『炉辺のこおろぎ』(初版)、『人生の戦い』(初版)

Dickens, Charles 1812-1870
A Christmas Carol. 1st edition. 1843
The Cricket on the Hearth. 1st edition. 1846
The Battle of Life. 1st edition. 1846

写真は「クリスマス・キャロル」より

著者 ディケンズ
出版地 いずれもロンドン
出版年 1843年、1846年、1846年

「クリスマス・キャロル」
強欲な主人公スクルージが、3人の幽霊と出会うことによってクリスマス・イブの夜に改心し、貧しい人々に手をさしのべるようになるという心暖まる物語。 後に「クリスマスの書」として一冊にまとめて出版された作品の第1作目(全5作)。演劇・映画などの原作として幾度も取り上げられるなど、現在も多くの人に愛されている作品である。

「炉辺のこおろぎ」
「クリスマスの書」の第3作目。幾つかの家庭の悲喜劇の物語。幻影形式のクリスマス物語。

「人生の戦い」
「クリスマスの書」の第4作目。ファンタジーの要素(「クリスマス・キャロル」における幽霊、「炉辺のこおろぎ」のこおろぎの精など)が含まれていない点が、他の「クリスマスの書」の作品と趣を異にしている。献身的な性格の姉妹が最後は共に幸せな家庭を築き、人生を否定的に考えていた姉妹の父親も改心をするという物語。

『マーク・トュエイン コレクション』

Mark Twain's 70th birth day : souvenir of its celebration. 1st ed.
New York Harper & brothers Pub.,c1905

出版年 1905年

本書は、1905年12月5日にニューヨークで開かれたマーク・トゥエインの70歳の誕生日を祝うパーティの記録である。先にHarper's Weeklyに掲載された記録を、読者からの反響に応えて、Harper & Brothers Pub.が豪華版として出版したものである。
John Kendrich Bangsの乾杯の言葉を初めとした、当代随一の作家や文学者たちの祝辞や美しく着飾った出席者の写真から、華やかなパーティの情景と共に、当時、文学界の重鎮であったマーク・トゥエインの威容を窺うことができる。

  • 画面下の左から2人目が、マーク・トゥエイン

『大君の都』

Alcock, Rutherford 1809-1897
「The capital of The Tycoon : a narrative of a three year's residence in Japan」 vol.I-II

著者 オールコック
出版地 ロンドン
出版年 1863年

オールコックは、1809(文化6)年5月イギリスのロンドン郊外イーリングで生まれ、はじめ父の業をついで医師となり、一時、軍医をつとめた。1844(弘化1)年から中国各地の領事を歴任、1854(安政1)年上海駐在領事在任中、租界の自治権強化に尽力した。
1858(安政5)年日本駐在総領事に任ぜられ、翌年着任、同年公使に昇進した。
1861(文久1)年水戸浪士の一団に公使館の東禅寺を襲撃されたが、かろうじて難をまぬかれた。1864(元治1)年英・米・仏・蘭連合艦隊が下関砲撃を強行し、長州藩に多大の損害を与えたが、その処理方法で外相ラッセルと対立し、本国に召還 され帰国。再び来日することはなかったが、翌年中国公使として北京に赴任し、アジア外交に腕を振るった。

著作には多くの日本関係のものがあるが、滞日3年間の体験を記した本書は当時の日本を知るための貴重な文献としての評価が高い。また、日本社会に対するすこぶる豊かな観察と鋭い分析、それに東西文明の本質に関する深い洞察とを備えた本格的研究書でもある。
彼は絵の天分にもすぐれ、本書の挿絵も自ら描いたものである。この本書が高く評価された結果、彼は出版したその年に、オクスフォード大学から博士号を授与される光栄に浴した。

『苦難なければ栄冠なし』

Penn, William, 1644-1718, No cross, no crown

著者 ペン
出版地 ロンドン
出版年 1669年

著者は、イギリスのクエーカー教徒の開拓者。オックスフォード大学に学び、クエーカー派に参加して多くの説教や著述を行い、それにより数度投獄された。
1681年にチャールズ2世より北アメリカのデラウエア河左岸の広大な土地の支配権を与えられ、この地をペンシルヴァニアと命名し、クエーカー教徒の移民を伴いこの地に渡り、フィラデルフィア市を建設した。

本書は、実際的なキリスト教への案内書であり、日常のキリスト教徒の生活についての注釈とも言うべきものであり、プロテスタント倫理の発展に大きな影響を及ぼした。また、本書は版を重ねる毎に著者によって改訂され、各国語にも訳された。

『京洛名所絵巻』紙本極彩色細密画

出版年 江戸中期頃写

三十三間堂(蓮華王院)」の通し矢の図から始まり、方広寺大仏殿、清水の舞台を中心とした清水寺、八坂塔、祇園社が描かれている。参詣や花見に行き交う人々の姿から、春の賑わいを感じとることができる。

表紙は網代地に松唐草と鳳凰模様のある織物装。見返しや天地の雲・紙背に金箔を散らした美しい絵巻である。

  • 上の画像は八坂社の部分。

『北越雪譜』

写真は初編上巻より

著者 鈴木牧之撰
山東京山編
丁子屋平兵衛等刊
出版年 天保七(1836)年
初編上中下三巻、
天保十三(1842)年
二編一~四巻

本書は、鈴木牧之(すずき ぼくし) (1779-1842) が、江戸後期の越後の豪雪地域における風俗・習慣・伝説・言語・産業等について書きしるした観察記録である。

牧之は、越後に生まれ家業である縮の仲買と質商を営むかたわら、執筆活動を行なった。19歳の時、初めて江戸へ行った際、雪国生活の厳しい実情を特に太平洋側の暖候地の人々に知らせたいと強い思いを抱いた。当時地方の文人がその著述を出版するには江戸や京の一流作家に依頼することが早道であったため、面識のあった山東京伝や滝沢馬琴らに協力を依頼したが交渉が成立せず難航した。
しかし、牧之60歳の時、馬琴より出版が進まない話を聞いた山東京山(京伝の弟)より申し出があり、ようやく『北越雪譜』の刊行に至った。

初編は、雪にまつわる興味深い種々の話題を掲載し、出版当時たちまち江戸市中の評判となった。初編三冊の値段は13匁5分(約米一俵分の値)と高価なため、多くの貸本屋が購入し有料で貸し付け、どの貸本屋もこの書を置かねば客足がつかなかったと言われる。
6年後に発行された二編は、年中行事や用具について書かれたが、初編の好評に気を良くした版元の求める分量に及ばず、記事の不足を補うため京山の文章(全体の35%)を付加している。
本書の初編は、後に川端康成の『雪国』にも抜粋し記載されている。

展示の足跡